今日は会社に戻らず自宅でゆっくり。
ここ最近は仕事が忙しく、一旦自宅に帰り晩飯と風呂を済ませ、また会社に戻る…
という生活を続けてきましたが、今日は久々に家でゆっくりしています。
ここで考える、職場環境。
最近はよく話題になりますが、働きやすい職場とは、一体どのような職場でしょうか。
私が今勤めている会社は、勤務スタイルが割と(かなり?)自由です。
おかげで個人的に助けられたことが結構あります。
と言うのも、ウチの長男は生まれつき心臓の病気でした。
妊娠中に心臓の異常が発覚
私も妻も県外出身者で親戚が県内におらず、初産ということもあって、里帰り出産にするか、それとも自宅で出産を迎えるかを相談していた妊娠8ヵ月頃。
いつものように、それまで通っていた近くのクリニックに定期健診に行くと、突然、エコー検査で心臓に異常の恐れありと診断されました。
すぐに紹介状を書いてもらい、大学病院へ転院することに。
その日の夜、妻は泣いていました。
診断結果は右心低形成
大学病院で告げられた診断結果は、右心低形成(三尖弁狭窄、肺動脈狭窄)。
簡単に言うと、心臓の右側が機能しないって感じです。
肺に血液を送る右心系が機能しないため、左の心臓だけで全身または肺から流れ込む血液を受け入れ、そしてまた血液を送り出す必要があります。
担当医師によれば、単純心奇形はおよそ100人に1人くらいの割合。
一方で、ウチの息子のような複雑心奇形は、大学病院でもそこまで症例が多くないそうです。
大学病院でも、執刀できる小児心臓外科の先生はたったの1人。
しかしながら息子を担当してくれた先生は後に転勤してしまい、その大学病院のみならず、県内で執刀できる先生はいなくなってしまいました。
今だと、息子と同じ病気の子どもは全て県外の病院に回されるそうです。
不安を抱えたまま出産
出産前から「生後すぐに治療や管理を要する」と言われ、当然ながら里帰り出産という選択肢は無くなりました。

初産+病気 ということで、妻はだいぶ不安だったと思います。
自分はというと・・・正直、どこか実感が無いというか、他人事のように感じてしまっていたかもしれません。。
出産予定日の1日前。
大学病院の産婦人科にて、万全の体制のなか出産を迎えます。
妻の陣痛がかなり長く少し心配されましたが、無事に出産。

50cm、3,072gの男の子。

一見すると普通の元気な男の子。
ただ、産まれてから病室で母親と一緒になることはなく、すぐにNICU(新生児集中治療室)に連れていかれ、そこで24時間管理されることになりました。

NICUにいる子ども達は未熟児が多く、なかには1,000gに満たない子も…。
子犬くらいのサイズで、その小ささを目の当たりにしたときはとても驚きました。
その子たちと比べると、ウチの子はデカかった笑
NICUへのお見舞い生活
お見舞いでNICUに入室できる時間は限られています。
この頃は
朝(8:00~)
昼(12:00~)
夜(17:00~)
のそれぞれ30分だけに限定されており、それ以外の時間には面会ができないため、昼休憩に急いで病院に行き、夕方も定時にいったんあがって急いで病院に行く、という生活を毎日繰り返していました。
生後1か月で1度目の手術(ブレロック手術)
生後1か月が経過した1月8日、1度目の心臓手術。
1度目の手術は、動脈管を維持する薬剤を使わなくてもよい状態にするため、動脈管にかわる肺への血流路(人工血管による血液の通路)を作成する手術です。
(息子の場合、肺への血流は動脈管によって維持されている状態で、動脈管が閉塞しないようプロスタグランディン製剤という薬剤が投与されていました)

このときの手術時間は6時間くらいだったと思います。
手術を待つ間に少し居眠りをしたら、「こんなときによく寝られるね」と妻に非難された記憶があります笑
後々になってから思ったことですが、この1回目の手術が担当の先生にとっては最も神経を擦り減らした手術だったのかもしれません。
術後説明のときの先生の"表情"と"手"が、後の2回目と3回目の手術とはだいぶ違って見えました。
50cm、3,000g程度の小さな子どもの血管を繋ぐんですもんね…
そんな神業みたいなことをするんですから、そりゃ体力的にも精神的にも疲労困憊ですよね。
手術後の入院生活
手術後はICU(集中治療室)に数日、その後、NICU(新生児集中治療室)へと移動。
NICUから一般病室(乳児室)へは、予定より早いタイミングで移動になりました。
その理由は、より緊急性の高い乳児がNICUに入ってきたから。
NICUの病床数は限られているため、緊急度や優先度を加味してのことと思います。
息子は少し容態が落ち着いたとのことだったので
「予定より少し早いですが、乳児室へ移動していただけませんでしょうか」
とお願いされました。
(コウノドリでもこんなシチュエーションがあったような・・・)
正直、
「えっ、予定より早いけど大丈夫なのかよ!」
とも少し思いましたが、ウチが駄々をこねて、必要な子どもが必要な治療を受けられないなんてことになったら大変なので、些かの不安はありつつも乳児室へ移動することに。
この頃は当然、妻と毎日病院に通いました。
生後2か月で初めて自宅へ
術後の経過はよく、手術から1か月、退院が決定。
退院できることはとても嬉しかったですが…、一方で不安もありました。
生まれてからずっと、息子は病院という万全の環境のなかで育ってきました。
24時間看護師がつき、なにかあれば看護師がすぐに対処し、サチュレーション(酸素飽和度)が低くならないよう泣いたらあやし、決まった時間にミルクをあげ、寝かしつける。
面会のときにオムツ交換やミルクをあげることはしていたものの、自宅に戻っても病院と同じように自分たちはできるのか…。
加えて、自宅では在宅酸素療法が必要でした。
酸素が足りないため、鼻カニューレを付け、風呂のときも寝ているときも、酸素供給装置によって24時間酸素を注入し続ける必要があります。
外に出かけるときは鼻カニューレを酸素ボンベに付け替え、常に酸素ボンベを携帯しなければなりません。

この頃は、「病気に対する不安」と「子育てに対する不安」の両方がありました。
2015年2月5日、いよいよ退院。
この日はものすごく寒い日で、雪も降っていました。
仕事が終わってから妻と息子を迎えに行ったので、外はもう真っ暗。
抱きかかえる息子を「これでもか!」ってくらいに毛布とタオルでグルグル巻きにして病院を出た記憶があります。
自宅に着くと、初めて見る場所に息子は少し戸惑っているようにも見えましたが、割とすぐに慣れたようでした。
初めて親子3人で一緒に寝ることができた嬉しさは今でも覚えています。

生後6か月で2度目の手術(両方向性グレン手術)
2015年5月22日、生後6か月の頃に2度目の手術。
2度目の手術は、上半身(上大動脈)の血流を肺動脈へ直接流すため上大動脈を右心房と切り離して右肺動脈と吻合(ふんごう)する手術で、両方向性グレン手術と呼ばれます。
生後6か月は、声を出して笑うことも多くなった頃。
1回目のときは、まだ一緒に暮らしたこともない生後1か月の子供の手術だったので、 正直言ってしまうと、その頃はまだ親心が芽生えていなかったかもしれません。
心配は心配でしたが、10か月間もお腹の中で育てた母親とは違い、父親(自分)はいまひとつ実感が沸かない感じ。
でも、2回目は全く違いました。
ミルクをあげて、オムツ交換して、抱っこして出かけて、一緒に寝て…
息子に対する愛情がとても大きくなっていました。
手術中は心配で心配で、1回目のときのように居眠りなんてしていられる状況じゃありませんでした笑
息子自身も、不安という感情を持ち合わせた頃だったかもしれません。
手術前日。
ずーっとグズグズして、母親から離れようとしませんでした。
仕事を終えて病院に行くと、
「もう何時間もこんな感じ…」
と、息子を抱きかかえた妻がエレベーターホールに座っていて、
「明日の手術が怖いのかな?」
なんてことを話した記憶があります。
母親の心配や不安が、息子にも伝わってしまったのかもしれません。

手術は無事に成功。
術後5日ほどでICU(集中治療室)から一般病室(乳児室)へ移動となり、サチュレーションの値は術前と比べて大きく改善されました。
今まで酸素注入のため24時間つけていた鼻カニューレは6月6日に外すことができ、予定よりも早い6月7日には退院することができました。
1歳9か月で3度目の手術(フォンタン手術)
1度目の体肺短絡術(ブレロック手術)、
2度目の両方向性グレン手術を経て、
3度目のフォンタン手術(心外導管型フォンタン手術)は2016年9月13日。
下半身の血液を人工血管を通じて肺動脈に直接流れるようにする手術で、全身から戻る血液を肺へ直接流す状態(フォンタン循環)を完成させるものです。
このとき1歳9ヵ月。
この頃になると、話すし、歩くし、泣くし、笑うし、怒るし。
ママとパパにべったりの甘えん坊だし。
いったん入院して手術に向けた準備をするものの、手術日までは外泊扱いで自宅に戻るわけですが、手術前日に自宅で無邪気に遊ぶ息子の姿を見て、病院に連れていきたくない、とさえ思いました。
手術室に運ばれて行くのが朝8時半。
息子の周りを多くの大人たちが取り囲み、せわしく手術の準備を進めます。
手術室に運ぶためのストレッチャーに乗せられると、息子はもの凄く不安そうな顔をしていました。
病棟を出て、エレベーターに乗り、手術室があるフロアの入り口。
私と妻はここまでしか付き添えません。
自動ドアが開き、私と妻の足が止まり、息子だけがストレッチャーで運ばれていく。
息子はストレッチャーから起き上がって私たちのことを探し出し、離れていく私たちのことを見つめながら
「ママ!パパ!」
と泣き叫びます。
自動ドアが閉まって、曲がり角を曲がって姿が見えなくなっても
「ママ!ママ!!パパ!パパ!!」
と必死に叫ぶ声が聞こえてきました。
不安そうに一人で泣きながら運ばれていく姿を見て、私も妻も涙が止まりませんでした。
手術が終わったのは18時頃。
手術前の説明では予定終了時刻は17時頃と言われていましたが、予定より1時間ほど遅れました。
長かった・・・
じーじとばーばも駆け付け待合室には6人が待機しているものの、17時から18時までの1時間はあまり会話も無く、妻に至っては硬い表情で何度も時計を見て、立ち上がったり座ったり、かなり落ち着かない様子でした。
妻は後で
「今までの人生で1番長く感じた1時間だった」
と言っていました。

術後の経過はよく、10月6日には退院。
予定されていた3度の手術は全て無事に終わりました。
右心室が低形成で、将来的にも右心室による血液の拍出が期待できない息子においては、現時点では、このフォンタン循環の完成が機能的根治術。
ただ、この手術は割と新しいものだそうで、手術後の結果については現在だと20年後ほどしか報告されておらず、合併症の発生、治療、将来の状況については、現在でも未解明な点が多いそうです。
手術後の生活
複数の薬を毎日3回服用しています。
薬(ワーファリン)の影響で、出血が止まりづらく、少しの傷でも血が数時間止まらないことがあります。
そして今は2か月に1回程度、経過観察のため外来に通っています。
心臓に過度に負担がかかるスポーツは控えるように言われています。
でも・・・
息子はとても元気です!!
手術が終わるまでは不安なことが多い日々でしたが、今となっては、大きな手術を3度もしたことを時に忘れてしまうぐらい。
親戚や知人、友人にも
「すごく元気だね。心臓手術をしたなんて思えない。」
と言われます。
最近はやかましいし、口達者で生意気なことも多いです…笑
最後に
お子さんがウチの息子と同じ病気で、とてつもなく不安で、悲しんで、悩んでいる方。
お子さんはきっと元気になってくれます。
私は医者でもなんでも無いので無責任なことは言えないのですが、そう信じることが一番だと思っています。
私自身、息子と同じ病気だった子が今は中学生になり、野球部に所属して頑張っているという本人を同じ病院でたまたま見かけたとき、とても励みになり、「きっと息子もああなれる」と、元気づけられました。
親は、不安でいるよりも、強い気持ちで子どもが良くなることを誰よりも信じることがきっと大切なんだと思います。
そして、病気の子どもを抱える親はとても大変で、それには家族のサポートと、職場の理解が必要です。
私は職場に恵まれました。
子どもの面会や手術の立ち会い、見舞いや付き添いなどで、会社を休んだり早退することがしばしばありましたが、そんな私の状況を理解し、応援してくれました。
専業主婦だからといって妻に全てを任せてしまっては、逆に妻が倒れていたかもしれません。
本当に感謝です。
このご時世になっても育児や介護に追われている家庭環境に理解を示さないような企業風土の会社が依然としてありますが、社員が大変なときには応援し、サポートしてあげるような会社が社会全体で増えていくことを願いますし、私もそういう会社にしていきたいと思います。
私にとっては、私が大変なときに応援・サポートしてくれた今の職場は、とても働きやすい職場です。
・・・
・・・長くなってしもうた。
そしてこの頃の息子の写真を見ていたら急に愛おしくなってきた。
今日は息子を抱っこして寝よう笑
起業に向け一言
子育て・介護・健康状態・・・置かれている状況は人それぞれ。
社員が人生の各ステージで働きやすい会社を作りたい。